adidas ROM history 1980年代ローマの変遷③

2.5
1980年代

1980年になると多くの国でROMの生産が行われます。日本においては兼松スポーツが70年代より製造し、国内販売されていました。ただこのような国内製造販売はadidasの許可を受け、国内のみ販売を許されたもので、adidas製品とは別にレプリカとして販売されたものです。厳密にいえばadidasと表記されていますが、本家adidasから見れば偽物に属するもので、adidas製ではなく兼松スポーツ製の靴ということになります。

1980年 adidas ROM

1980年 カナダ製

1980年のカナダ製ROMです。青でも緑でもなく紺色の製品です。ミッドソールにはこの時代の特徴である硬質プラスチックが採用されています。

1980年 フランス製 白/青

1980年のフランス製ROMです。西ドイツとフランス、更にユーゴスラビアなど、80年頃は製造・販売する国も多くなりました。

1980年 日本製 兼松スポーツ製作

1980年においては日本では兼松がROMの製造・販売を行い、4色のROMが作られました。
なお型番3031・3032は今でも使用されるROMの色別型番になっています。

順番が逆になりましたが、3030が通常の赤、3031が紺、3032が赤、3033が黒になります。
なぜか緑は製造されず、緑はヨーロッパのみの製造となっています。
なおソールに関して最初は上記3030のソールでしたが、すべてアディダスのトレフォイルマークが入るソールに変化します。このソールタイプが人気で、当時を知る人にとっては人気の有ったモデルになります。

ビンスニ男
ビンスニ男

この日本製のローマは学校の運動靴にも採用されていましから、多くの方が使用した経験があると思います。運動部に所属していた方なら1足は持っていたのではないでしょうか?

大会に出場する際は、現場まで行くのに履くシューズといった感じです。

私も体育の授業で、グランドで運動する際は使用していました。

(70年代ですけど・・・)

1982年 adidas ROM

1982年 west germany 西ドイツ製

1982年の西ドイツ製のROMになります。他の国と同じ形状・デザインとなっており、各国共通で製作されたいたことが伺えます。

1982年 オーストリア製

この年のオーストリア製はつま先のスエード部分の形状が違います。

1982年 USA製

同じく1982年のUSA製になりますが、つま先の形状が変わり大きなスエードが使用されるようになります。なおこの形状はUSA製だけでなく、他の国で生産されたROMにも採用されているため、この形状のモデルが西ドイツ以外では採用された時期があるようです。

ビンスニ男
ビンスニ男

このつま先の形状は結構人気でした。
ローマだとこのタイプを好む方が多いのも事実です。特に90年代にヴィンテージが流行った時は結構高い金額で取引されていました。

1983年 adidas ROM

1983年 西ドイツ製 紺/白 ROM 2000

1983年には西ドイツにおいてROM2000が発売されます。形状は通常のROMと同様ですが、色が紺ベースで白ラインのモデルになります。

1984年 adidas ROM

1984年 西ドイツ製 白/青

1984年の西ドイツ製のROMです。形状に大きな変化はありません。

1984年 西ドイツ製 白/緑

1984年のROMの緑バージョンです。単純に青が緑に変わっただけのモデルです。

1984年 オーストラリア製

1984年のオーストラリア製のROMEです。ROMでなくROMEの黒バージョンです。形状は通常のROMと同じですが、なぜROMEなのか不明ですが、所属はROMと一緒になっています。

1985年 adidas ROM

1985年 西ドイツ製 白/緑

1985年のROMの緑になります。ラインにROMの刻印が入るのが特徴です。
このシューズが1985年に行われた第1回World Police & Fire Gameの大会において西ドイツの選手達が採用したシューズで、警察官と消防官が履いたシューズです。ですので西ドイツの警察が発注したものでもなく、屋外競技の選手はROMですが屋内競技の選手はユニバーサルを履いていました。

ビンスニ男
ビンスニ男

日本ではタイガーやミズノのシューズを履いた選手が多かったです。

USAでも色々なメーカーのシューズを個人が選び履いていましたので、統一して1つのメーカーを履いたのは西ドイツだけでしたので、当時ニュースでは大きく取り上げられました。

まあ西ドイツの選手ですのでadidasかPUMAのどちらかになるのでしょうが…

adidasのROMというと1980年代初期に読売ジャイアンツがadidasを採用して、ROMはもちろんロスアンゼルストレーナーを全員が履いて練習していたニュースを思い出します。

1985年 フランス製 ベルクロ

1985年、フランス製の紺にROMとして初めてベルクロが登場します。この年よりベルクロのモデルがadidasにおいて数多くの製品で採用されます。

1985年 アルゼンチン製 ROM S2

1985年においてアルゼンチンではROM S2というモデルが発売されます。ラインに銀色が入り、踵のトレフォイルマークが新しいマークへ変化します。

1986年 adidas ROM フランス製 Dリング

1986年においてはフランス製としてDリングを採用したROMが発売されます。この時期になるとadidasの一族の問題や人気下落に伴い販売数が低下していきます。フランス製最後のROMがこちらになります。

1989年 adidas ROM フィリピン製

1989年にフィリピンで製作されたROMの最終モデルです。この年adidas フランス工場は閉鎖され、新しいモデルの生産は停止し、海外の外部工場へ移管されます。更には2001年に全ての工場の契約は一時白紙に戻され、ほとんどの生産は中国へと移動していきます。

ビンスニ男
ビンスニ男

こちらのモデルは日本でも販売されましたが、形が地味なのかあまり人気はでませんでしたね。

80年代後期はREEBOKやKAEPA、AVIAなど新興シューズが人気でした。

しかも1988年にアディダスのフランス工場が閉鎖されるとの事で、フランス製のシューズが品薄になるほどでした。adidasにおいては経営不振の始まりで、日本でもadidasの人気が下火になった頃でもありました。

コメント

vintage_sneaker

1970年代からスニーカーに目覚め、ビンテージスニーカーを中心に集めています。ポパイやBoonなどにも登場した経験があります。
基本的にadidas/converse/nikeなど70年代を中心に収集していますが、当時のcatalogや専門書も収集しています。また暇な日には情報収集のため靴屋・古着屋巡りもしています。
古いスニーカーに関しての情報を発信しながら、普通のスニーカー情報もお伝えします。もと靴屋の販売員の経験も活かし、履きやすい靴の選び方も紹介しますね。質問などありましたらお気軽にどうぞ。

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