
1971 adidas munchen west germany

1971年後半、ミュンヘンオリンピック向けにmunchenと名の付いたシューズが発売されます。こちらのシューズはその中で最初にのみ発売された赤のミュンヘンになります。

同様に発売されたmunchenの青がこちら、どちらも西ドイツ製で1971年モデルは踵のヒールパッチが小さいのが特徴です。

1972年向けのカタログです。munchenは、munchen72と表記されるようになります。
1972 munchen olympic開幕

1972年夏、ミュンヘンオリンピックが開催されましたが、こちらはその時のポスターになります。ミュンヘンと言えばドイツですから、そのポスターにはドイツのスポーツメーカーであるadidasとpumaが仲良く表示されています。
当時の事をご存じなら、ドイツにおいてadidasは有名でしたが、ドイツ国内ではpumaの方が力関係は上でした。確かにオリンピック選手の6割以上はadidasを使用していましたが、主力選手や有名な選手と契約していたのはpumaの方が上でした。adidasはどちらかというとテニス選手との契約が多かった時期です。
それでもミュンヘンオリンピック向けにミュンヘンの名前が付いたシューズを出したのがadidasでした。しかし、オリンピック向けにadidasはSL72というランニングシューズを、pumaは9190というランニングシューズを発表します。
1972 adidas munchen spezial

1972年、adidasはミュンヘンオリンピックのデザイナーであるオトル・アイヒャーとエーベルハルト・シュトラウスの協力で、上記ミュンヘン・スペシャルを一部選手に提供します。これを改良しオリンピック後に発売したのがmunchen superになります。
1972 adidas munchen super


こちらが1972年に発売されたミュンヘン・スーパーのカタログ写真です。上が1972年夏、下が1972年後半に出た1973年向けのカタログです。

実際に発売された最初のモデルはベロがスエードのモデルで、ソールも格子柄となっています。

こちらが青ののミュンヘン・スーパーでカタログと同じソール形状になっています。
1973 adidas munchen super

1973年に出されたmunchen superのカタログ写真です。

こちらが実際の1973年発売のミュンヘン・スーパーです。ベロがスエードから白いビニールになり、トレフォイルマークが入るのがお分かり頂けると思います。
1973 adidas munchen72

1973年になるとミュンヘン72は茶色のガムソールになります。ベロはスエードのままです。

同じ西ドイツ製ですが、1973年後半になるとベロがビニール化されトレフォイルマークが入るようになります。
1975 adidas munchen72 norway

1975年になると北欧のノルウェーでも生産されるようになります。なおこちらは日本未輸入品になります。なお1980年以降も各国でmunchen72とmunchen superは継続的に販売されます。
1982 munchen made in japan

1982年に日本の兼松スポーツから発売されたミュンヘンです。6種類発売されましたが、定価8,500円ですのでほぼ7,000円で購入できた商品です。しかしこれより安いSAMOAは6,000円で販売されていましたから、人気ははるかにSAMOAの方があり、adidasで一番人気となった商品でした。
1986 munchen austria

1986年のオーストリア製のミュンヘンです。ボディはメッシュ素材になって不評だったヒールカウンターは廃止されました。履き心地でいうならこちらのシューズがミュンヘン・スーパーより格段に快適なものとなっています。
1980年代以降は各国で何度も復刻し、様々な色が発売されているのでお好きな方は探してみて下さい。








コメント
ミュンヘンオリンピックでドイツの選手は、アディダスのシューズを提供されたと聞いた事があります。このミュンヘンを選手に提供されたと聞いていますが違いますか?
ミュンヘンオリンピックでは1950年代以降、スポーツメーカーによる選手との契約が一般的な時代で、adidasとPUMAによる契約争いが激しかった時期でもあります。このためポスターにもあるようにadidasとPUMAのどちらかを優遇するという事はありませんでした。
しかも選手とほとんどの選手が契約することで、競技・表彰台・トレーニング中は契約会社のシューズを履かなければ契約違反となり、報奨金を頂くことができません。このため現在に至るまで、オリンピックで国全体が特定のメーカーのシューズを提供することは一度もありません。ただし日本などはミュンヘンではほとんど鬼塚のシューズを履いていましたが、一部adidasの選手も居ました。ドイツはというと競技単位でadidas派とPUMA派に分かれていました。このためミュンヘンオリンピックのウォームアップスーツ(ジャージ)はadidasとPUMAの両方が存在し、優勝者はそれぞれのスーツを着用しています。
また有名な話ですが、PUMAの契約選手は良く靴紐を結び直す行為をして、靴をアップでTVに映させる行為でメーカーのPRをしていたとされています。
いずれにしてもミュンヘンオリンピックでadidasだけ採用されるということは、PUMAが全体許しませんから現在でもありえない事です。
ありがとうございます。やっぱりadidasを採用は大げさでデタラメなんですね。
スニーカーを解説するホームページがあるのですが、結構嘘が多いので質問しました。これで納得しました。また何かありましたら、よろしくお願いします。
横レスです。この点についての基本ルールをいいますと、オリンピックにおける選手・用具の着用ルールは、ロス五輪以降はマーケティング権が絡むため非常に複雑ですが、結論から言うと「ウェアは指定の五輪スポンサー製品を着る必要があるが、道具(競技用具)は一定の制限下で個人の契約先のものを使用できる」ということになります。さらに例えば、日本代表は現在は開会式、閉会式、表彰式、選手村での生活ではアシックスウエアを着ますよね。但し競技中は個人契約のNIKEのウエアを着れます。メダルセレモニーを競技直後でなく後でやるのもNOCスポンサーウェアを全員に着せて歴史に残る写真を撮るためです。現在ではほぼすべての国がそうした場面ではNOC(各国の五輪組織委員会)スポンサーのものを着ます。(靴も)
70年代も靴は競技用具のため競技中は自分が個人で契約しているメーカーのものを着用します。当時もadidas とPUMAそれぞれでした。競技シューズをNOC単位でシューズを指定することはありません。しかし開会式などではNOC指定のウェアとシューズを統一して履いていました。当時はスポンサーという概念はなく、NOCが発注して調達していました。ドイツ代表がどこかのシューズメーカーの靴を開会式、閉会式用に調達していた可能性は残ります。それがアディダスだったのかはわかりません。
詳しい説明ありがとうございます。70年代は夏のオリンピックは開会式は各国の民族衣装などを着用、日本はブレザーで老舗洋品店のものが歴代採用されていました。靴はというとスポーツシューズではなく革製の靴が採用され、色は白が良く使われていました。ドイツにおいても開会式は革靴を履いていて、ほとんどの国は革靴着用でした。80年代以降は日本では森英恵さんのデザインが採用され、長く開会式の衣装として使われました。