ビンテージスニーカーに関する情報を発信していきます。
1970年代からスニーカーを収集し、最初はアメリカ製のものを中心に廃盤になったスニーカーを集めました。その後並行輸入のスニーカーを集め、毎月3足以上のペースで収集しています。
写真は1973年に発売された初代adidasのカントリーです。履き口にパッドが無く、ベロも皮でできているのが初代の特徴です。
では昔から収集していたadidasのシューズを最初に紹介します。
一通りSLシリーズは集めたのですが、メインはテニスシューズばかり買っていました。
そうです、1970年代はアディダスのフランス製はスーパースターくらいしか販売されておらず、スタンスミスやロッドレバーなどは平行輸入SHOPでしか購入できませんでしたし、結構高額でした。
特にスタンスミスはメンズクラブやポパイで紹介され、非常に人気があり高額でもすぐ売れた商品です。
よく紹介されていたのは銀座にあった「アムスポーツ」や六本木にあった「ビッグスニーカー・マム」、吉祥寺にあった「テクテック」ですね。
八王子にあった「ブル八王子」は70年代後半、ポパイの「コンバースの一つ星を探せ」で有名になったショップです。
当時スタンスミスはスミスハイレットと呼ばれていましたが(1970年代中期)価格は19,800円(ビッグスニーカー・マム価格)もしました。スーパースターの金ベロが6,000円で買えた時代です。本当に当時は並行輸入は高かったです。
最初はadidasの並行輸入で入手したシューズです。
上段左からSL72レザー、SL80、SL82です。
SLシリーズに関しては後で全て紹介しますが、この3足は当時並行輸入でしか購入出来なかった商品になります。SL72レザーは東京上野のアメ横で16,800円、SL80は14,800円、SL82は12,000円でした。もちろん消費税は無い時代です。
1980年代は兼松シューズとクラブアディダスの2つがアディダス製品を輸入し、シェアを争っていました。このため価格が下落し同じ商品が溢れる現象がでました。
SLシリーズはSL72とSL76のみが発売され、SL80とSL82は普通の店では販売されなかった商品です。なぜ発売されなかったかは疑問ですが・・・
下段は両方ともロッドレバーになります。
左が1976年のもの、右が1980年のものです。1976年はまだ踵のヒールパッチがベロアでadidasマークが付かない時代です。80年になるとソールはポリウレタンになり、加水分解してしまいます。履かなくても10年経つと見るも無残な崩壊を起こします。このため1970年代中期までのビンテージスニーカーが、今でも履けるシューズとなっています。(例外もありますが・・・)
ロッドレバーは1960年代から兼松から発売されていたシューズです。
レザー製ではないので、大きなスポーツショップでないと販売されておらず、一般的にはテニスシューズは西ドイツ製がメインで販売されていました。
テニスやウインブルドン系がメインでした。
85年頃に集めたスタンスミスシリーズです。
上段左から
・1969年のロバートハイレット
・1973年のスタンスミスハイレット
・1976年スミスハイレット
・1978年スタンスミス
・1980年スタンスンミス
・1982年レディースミス
・USA製1983年キャンバス地のスタンスミスです。
1969年のハイレットは踵のヒールパッチがスエードで出来ています。
1973年のスタンスミスハイレットは最初にスタンスミスの名前が付いたモデルですが、ベロにはHAILLETの表記のみです。1972年のウインブルドンで優勝した記念に1973年からスタンスミスの名前が付けられました。ただしベロにHAILLETの文字が入り、靴のどこにもSTAN SMITHの表記はありませんでした。
1964年にロバートハイレットが発売されてから現在まで、数多くのスタンスミスシリーズが発売されました。世界で一番売れたシューズとしてギネス記録にもなっています。
私も70年代から80年代にかけて非常に多く買いました。全部で200足以上は購入したと思います。コンバースのワンスターの倍は購入し、靴で1部屋潰していました。
手前の3色のスタンスミスはUSA製の赤・黒・緑です。発売時は8,000円でしたが、90年代に雑誌で紹介され高値になりました。売れ残りの商品なので結構球数も豊富で、高値で売れたので在庫で残っていた店にはうれしかった商品だと思います。
※ただ珍しいかと言われると大して珍しくなく、逆にUSA製よりフランス製の赤・緑・紺・グレーの方が非常に珍しいです。全てメインはKIDSやレディースなので、メンズサイズを探すのは大変です。
上記スタンスミスの4足を横から撮影したものです。
スタンスミスは今までに200足以上は購入しました。特にハイレット時代のものを中心に集めましたので、後で歴代のモデルは紹介します。1970年代に大阪まで探しに行った経験があるので、今でも思い出に残っているシューズです。
しかし60年代のロバートハイレットは見つかりませんね。全て踵にヒールパッチが付いてRobert Haillet表記の1970年以降のものばかりです。
Robrt Hailletがフランス人だからロバート・ハイレットではなくロベルト・ハイレとかロベルト・ハイレットとかいう人がいますが、両方とも間違いです。
確かにフランス語ではRobertはロベルトと読みますが、Hailletはフランス語表記ではありません。最初にHが付く言葉は無く、表記もしません。また最後のtを発音しないのもフランス語では正解です。なのでフランス語表記ならRobert ailleが正解で、実際の発音は「ロベルト・アレ」が本名です。
ただRobert Haillet表記なら英語読みで「ロバート・ハイレット」が正解です。
1960年代は踵にヒールパッチが無いもの、または1968~69年のヒールパッチが緑のスエードでRbert ailleとフランス表記の筆記体のものになります。詳しくは歴代のハイレットの紹介で行いますので、しばらくお待ち下さい。
コメント